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横浜地方裁判所 昭和37年(ヨ)540号 判決 1963年11月25日

(第五四〇号 第九三号)申請人(第五五五号)被申請人 佐藤長二 外三名

(第五四〇号 第九三号)被申請人(第五五五号)申請人 日本金属株式会社

主文

昭和三七年(ヨ)第五四〇号事件申請人佐藤長二の申請を却下する。

昭和三七年(ヨ)第五五五号事件申請人日本金属株式会社の申請を却下する。

昭和三八年(ヨ)第九三号事件申請人安心院虎書、同田中省三、同坂本公一の申請をいずれも却下する。

訴訟費用はこれを四分し、その一を昭和三七年(ヨ)第五五五号事件申請人日本金属株式会社の負担、その余を申請人佐藤長二、同安心院虎書、同田中省三、同坂本公一の負担とする。

事実

(当事者双方の求めた裁判)

昭和三七年(ヨ)第五四〇号、昭和三八年(ヨ)第九三号事件申請人等代理人等(以下便宜申請代理人という。)は昭和三七年(ヨ)第五四〇号事件について、「被申請人日本金属株式会社(以下便宜被申請人という。)が申請人佐藤に対してした昭和三七年九月二六日付解雇の効力を仮に停止する。

被申請人は申請人佐藤に対し昭和三七年一〇月以降毎月末日限り、毎月金一〇、〇〇〇円を支払え。訴訟費用は被申請人の負担とする。」との、

昭和三八年(ヨ)第九三号事件について、「被申請人は、申請人安心院、同田中、同坂本を被申請人の従業員として取扱い、かつ昭和三七年一〇月二六日以降、申請人安心院に対し金一五、一四七円、申請人田中に対し金一二、〇五三円、申請人坂本に対し金八、七七七円をそれぞれ毎翌月末日限り支払え。」との、

昭和三七年(ヨ)第五五五号事件について、「被申請人の申請を却下する。」との各裁判を求め、

昭和三七年(ヨ)第五五五号事件申請人代理人(以下便宜被申請代理人という。)は、

昭和三七年(ヨ)第五五五号事件について、「申請人佐藤は横浜市鶴見区市場町元宮六八一番地宅地二九九坪のうち別紙図面斜線表示部分に立入ること、並びに被申請人の業務を行なうことをしてはならない。」との、

昭和三七年(ヨ)第五四〇号、昭和三八年(ヨ)第九三号事件について「申請人らの申請をいずれも却下する。訴訟費用は申請人らの負担とする。」との各裁判を求めた。

(申請代理人の述べた昭和三七年(ヨ)第五四〇号、昭和三八年(ヨ)第九三号事件の申請理由)

一、被申請人は本社を表記肩書地におき、宇都宮、川崎、大阪、八幡、戸畑の五工場に総従業員二五〇名を擁して、金属類の採鉱精錬及び加工販売等を営業目的とする資本金五百万円の株式会社である。申請人佐藤は被申請人川崎工場に昭和三六年二月工員として入社し、アルマイト電解研磨等の業務を担当し、申請人安心院、同田中、同坂本は工員として同工場に勤務し、いずれも被申請人に解雇されるまでその従業員であつた。

二、申請人らは同工場において、昭和三七年六月一〇日全従業員五〇数名中役職員を除く四一名で、全国金属労働組合日本金属川崎支部を結成して、申請人佐藤は同支部組合書記長に就任し、同年八月二五日再選されて書記長を勤める者、申請人安心院は同じく執行委員長、申請人田中は執行委員、申請人坂本は職場活動家としていずれも組合活動に不可欠の人物として活発な労働組合運動をして来た。

三、申請人佐藤は被申請人から、昭和三七年九月二六日大阪工場出張を拒否したことを理由に懲戒解雇通知を受けたが、この解雇は次の理由により無効である。

1  右懲戒解雇は撤回された業務命令に違反したことを理由になされたものである。

即ち、申請人佐藤は昭和三七年九月五日被申請人川崎工場阿部アルマイト事業部長から、大阪工場へ出張してもらいたい旨の内示をうけ、同月一二日人事発令「大阪出張を命ず」という文書を手交されたが、同日支部組合委員長安心院立合のもとに、同部長に対し申請人佐藤が大阪出張に応じられない理由について種々説明したところ、同部長は「それではいいでしよう。外に手を考えましよう。」との返事をしたので、この回答により被申請人の右大阪工場出張命令は撤回されたものであるから、大阪工場出張をしなかつたことは懲戒解雇の理由とならない。

2  申請人佐藤と同時に申請人坂本も同様大阪工場への転勤を命じられたが、これに対しては被申請人は人事発令を出さず、後に同年一〇月一日宇都宮工場出張を命ずることにより大阪転勤命令をうやむやのうちに撤回したことに鑑みると、同じ事柄である出張等の業務命令に際し、申請人佐藤の組合書記長としての活動を封ずるため、殊更にこれを不利益に取扱つたものである。又申請人佐藤は被申請人社長から同年九月一九日「営業課長補佐になつて会社のため頑張つてくれ。そのためには当然組合をやめてもらう。」旨の役職に就任することを条件に組合離脱の申入を受けたが、翌二〇日申請人佐藤は「組合活動の自由を認めるならば社長のいう職について会社に協力する。」と返事したところ、社長は「組合は抜けない、しかも課長になるでは駄目だ。どちらかだ。」との返事であつたので申請人佐藤は社長の申出を拒絶した。労働組合と被申請人との闘争中であるにも拘らず、組合書記長を営業課長代理にして組合から離脱させようとすることは、組合に対する支配介入であつて、かかる事情のもとになされた懲戒解雇は、被申請人が申請人佐藤の組合活動を嫌悪しこれを排除せんとしてしたものであり、労働組合法第七条第一、三号の不当労働行為であるから無効である。

四、次に申請人安心院、同田中、同坂本は被申請人から昭和三七年一一月一日付で解雇する旨通告を受けたが、右解雇は次の理由により無効である。

1  前項記載のように、申請人佐藤が昭和三七年九月五日大阪工場出張の内示を受けたのと同時に、申請人坂本ほか申請外脇屋(副委員長)、同小山内(執行委員)、同峠館、同荒川に対しても大阪工場への長期出張ないし転勤が内示されたが、申請人らの組合はこれについて被申請人に団体交渉を申入れ折衝のうえ同月六日被申請人は右小山内に対する配転命令を撤回し、組合は右脇屋、峠館の配転を認め、その余の三名については執行委員長立会のうえ個人折衝すること、組合員に対する配転については組合と被申請人との間で事前協議を行なつたうえで決定することの確認がなされた。その後申請人佐藤については前項のような経過をたどり、申請人佐藤解雇後も、組合はこれを不当労働行為として被申請人との間に数次の団交を重ねていた。

2  被申請人は同年一〇月二二日にいたり川崎工場を休業し、同月三一日には組合に対し翌一一月一日より同工場を一時閉鎖し、同時に余剰人員として申請人田中、同坂本ほか申請外小山内ら佐藤解雇反対、工場閉鎖反対闘争の主導的メンバーを解雇する旨通告してきた。同時に申請人安心院に対しては、「技術保存要員として雇傭を継続するが大阪工場への転勤を命ずる。」旨通告してきた。しかし申請人安心院は組合の存否にかかる重大な時機に執行委員長の地位にある者を事前協議もなく一方的に配転するのは、組合破壊の意図に出るものであるとして、右転勤命令を拒否したところ、被申請人は申請人安心院に対しても解雇を言渡した。

3  申請人らの組合は組合結成以来労働条件改善のため活発に闘つてきたが、被申請人はかかる組合の存在を嫌悪し、その主要活動分子を放逐するため、活動分子の配転、その拒否に対する解雇、工場閉鎖による人員整理などの術策を弄したもので、申請人安心院、同田中、同坂本に対する各解雇は、労働組合法第七条第一、三号の不当労働行為であり、右各解雇は無効である。

五、申請人佐藤は本件解雇にいたるまで、従来被申請人から毎月平均一二、五〇〇円位の支払いを受け、申請人安心院は一五、一四七円、申請人田中は一二、〇五三円、申請人坂本は八、七七七円の平均賃金の支払いをそれぞれ昭和三七年一〇月二五日分まで受け、賃金の支払方法は毎月二五日〆切り末日払いであつた。ところが、申請人らはいずれも本件解雇によつて、唯一の収入の途を奪われて、その生活は危殆に瀕し、本案判決の確定をまつていては回復できない経済的、精神的打撃を蒙ることになる。よつて、申請人らはいずれも申請趣旨のような地位保全および申請人佐藤は右平均賃金のうち昭和三七年一〇月以降毎月一〇、〇〇〇円を、申請人安心院、同田中、同坂本は昭和三七年一〇月二六日以降毎月右平均賃金相当額の支払いをそれぞれ受ける必要がある。

(被申請代理人の述べた答弁)

第一項の事実は認める。

第二項の事実中、組合が結成され、申請人らがその組合員であり、申請人佐藤が組合書記長であることを認め、その余の事実は不知。第三項の事実中、被申請人が申請人佐藤を大阪工場出張命令拒否を理由に懲戒解雇したこと、昭和三七年九月五日大阪工場出張を内示し、同月一二日申請人佐藤主張のような人事発令を手交したことは認め、その余の事実は否認する。

申請人佐藤は正当な理由なく被申請人の大阪工場出張命令に違背し、職場の秩序を乱したものであるから懲戒解雇は正当である。第四項の事実中、昭和三七年九月五日申請人佐藤ら六名に対し出張、転勤を命じたこと、同月六日組合と団体交渉がなされ、組合が、脇屋、峠館の配転を認めたこと、同年一一月一日川崎工場を閉鎖し、同時に申請人安心院を解雇する旨、かつ余剰人員として申請人田中、同坂本らを解雇する旨各通告したことはいずれもこれを認め、その余の事実は否認する。

第五項の事実中、賃金の支払方法が申請人ら主張のとおりであることは認めるが、申請人らの平均賃金額は否認し、その余は争う。

(被申請代理人の述べた昭和三七年(ヨ)第五五五号事件の申請理由)

一、被申請人は前記申請人等主張のとおりの株式会社であり、申請人佐藤は昭和三六年春被申請人の従業員として雇傭されたもので、申請趣旨記載宅地内にある被申請人設備の従業員共同宿舎に居住している。

二、被申請人は、申請人佐藤が被申請人の就業規則第五八条第二号に違反して大阪工場への出張命令を正当な理由なく拒否し、業務に関する上長の指示に反抗し、職場の秩序を甚だしく乱したので、昭和三七年九月二六日同就業規則第五四条第四号によつて懲戒解雇する旨通告し、同年一〇月一日解雇予告手当を提供して解雇手続におよんだが、その受理を拒まれたので、同月二日労働基準法第二〇条による平均賃金の三〇日分一一、一六〇円を横浜地方法務局に供託し、申請人佐藤に対し被申請人工場への出入並びに就業を禁止したが、申請人佐藤は解雇を無視して工場内に立入り、一般善良なる社員を煽動し、その就労を妨害するため、被申請人は多大な損害を蒙つている。よつて、申請人佐藤の就業禁止、立入禁止ならびに共同宿舎退去を求める訴訟を準備中であるが、たとい本案訴訟に勝訴してもそれまでに回復し得ない損害を蒙るので本件申請におよぶ。

(申請代理人の述べた右同事件の答弁)

第一項の事実は認める。

第二項の事実中、被申請人が解雇の通告をしたこと、解雇予告手当を提供されたが、申請人佐藤はその受領を拒否したため、被申請人はその主張の金額を供託したことは認め、その余の事実は否認する。(疎明省略)

理由

一、被申請人は宇都宮、川崎、大阪、八幡、戸畑に工場を有して金属加工販売を業とするものであること、申請人らはいずれも解雇されるまで被申請人川崎工場の従業員であり、かつ、同工場従業員で組織する全国金属労働組合日本金属川崎支部の組合員であつたこと、申請人佐藤は同組合の書記長であつたこと、被申請人は申請人佐藤に対し、昭和三七年九月五日大阪工場出張を内示し、同月一二日同工場出張を命ずる人事発令文書を手交し、申請人が同命令を拒否したことを理由に同月二六日同人を懲戒解雇したこと、被申請人は昭和三七年一一月一日川崎工場を閉鎖し、同時に申請人安心院を解雇し、かつ余剰人員として申請人田中、同坂本をも解雇したことおよび被申請人が申請人佐藤に対し被申請人主張のように解雇予告手当を提供したがその受領を拒否されたことはいずれも当事者間に争いがない。

二、申請人佐藤長二の懲戒解雇について

申請人佐藤は、昭和三七年九月二六日被申請人が申請人佐藤に対してした懲戒解雇は撤回された業務命令に違反したことを理由にされたものであり、又右懲戒解雇は不当労働行為であるから無効であると主張するので考えるに、成立に争いのない甲第二二号証、同第四三号証、同第四五号証、乙第五、六、七号証、昭和三七年(ヨ)第五五五号事件甲第三号証、口頭弁論の全趣旨によりその真正な成立を認め得る乙第一号証、被申請人代表者相良清本人の供述によつて真正な成立を認め得る同第九号証、証人鹿志村圭造、同阿部元吾、同松永芳三郎の各証言、申請人佐藤長二、同安心院虎書、同田中省三、同坂本公一、被申請人代表者相良清本人の各供述によれば次の事実を認めることができ他にこれを覆えすに足る疎明資料はない。

『1 被申請人は東京都港区芝新橋に本社を有し、川崎、宇都宮、大阪、八幡、戸畑に工場を有し、総従業員約二〇〇名(うち申請人佐藤解雇当時の川崎工場の勤務者約四〇名)を使用して金属加工販売等を業とする会社であるが、昭和三七年七月頃から川崎、宇都宮各工場の受注が減少して六〇ないし七〇%の操業度となり、月を経るにしたがつて次第に窮状を呈して来たところ、一方昭和三六年末設置された大阪工場のみは好調に受注があつて従業員の不足を生じ、かつ製品(主として冷蔵庫部品)の一貫作業のため新にプレス成型、アルマイト加工の設備をすることになり、受注の減少した川崎、宇都宮工場の窮状を救うためにも暫くは大阪工場に主力を注ぐことになつた。被申請人は大阪工場の右要請に応ずるため、新規に従業員を募集する方法によらず、川崎、宇都宮工場の従業員を出張または転勤させる方針をとり、アルマイト加工工程の新設については川崎、宇都宮工場の技術を有する者をこれに当てる必要を生じた。

2 川崎工場においてアルマイト加工に従事していた従業員は申請人佐藤、同安心院、同坂本、申請外荒川ら四、五名であつたところ、被申請人はこのうち申請人佐藤、同坂本申請外荒川をアルマイト加工関係者として大阪工場へ派遣することとし、昭和三七年九月五日川崎工場長鹿志村から他の部門の者も含めて合計六名に対し、うち申請人佐藤ら三名に出張を、ほか三名に転勤を口頭で命じ、個人的事由でこれに応じられない者は申し出るよう指示した。

申請人佐藤の選択については、右アルマイト加工従事者四、五名のうち、大阪工場に新設されたアルマイト加工部門に必要な技術的な指導に当る能力のある者は申請人佐藤、同安心院のみであつたが、両名ともそれぞれ川崎工場労働組合の書記長、委員長の役職にあること、申請人安心院はかねてより痔疾で勤務に無理をしていたことを考慮して両名のうち申請人佐藤を選び、組合書記長たる役職にあることを考慮の上、転勤でなく二カ月間の出張を命ずることにした。

3 川崎工場労働組合は右出張、転勤問題について被申請人に団体交渉を申し入れ、昭和三七年九月六日の団交により、右命令に応じられないとの申出をした申請人佐藤、同坂本ら三名については組合委員長(申請人安心院)立合のもとに個別的な折衝が行なわれることになつた。これに従つて同月一〇日被申請人鹿志村工場長らは申請人佐藤と折衝したが、申請人佐藤は、大阪工場は昭和三七年二月出張の際、被申請人が期間を一カ月間とした約束を守らず結局二カ月間の出張を余儀なくさせられた為印象が悪いこと、および川崎市に申請人佐藤の妹が居住し、その相談相手となるため川崎を離れたくないことを理由に出張を肯んぜず、話合がつかなかつた。

阿部アルマイト事業部長、鹿志村工場長らは、同年二月当時の大阪工場出張の際の事情を聴き、出張の期間は二カ月間を厳守すると約束し、又妹が単独で居住していることについては、同女は美容院に住込んで働いているとのことであつたので、右事由は出張命令拒否の理由とはならないと考え、九月一二日組合委員長立合のうえ阿部事業部長が申請人佐藤に大阪工場出張を命ずる旨の人事発令文書を手交した。申請人佐藤は重ねて命令に応じられない旨を述べたので、阿部事業部長はなるべく話合のうえ出張させたいとの考えから理由をきこうと云つたところ申請人佐藤は右二つの事由のほか、学校に行つているからという事由を附加して述べ、これについての阿部事業部長の問に対しては、個人的なことであるからとして説明を拒み、重ねての話合にも折合がつかず、阿部事業部長が「どうしても行けないなら、ほかに手を考えなければいけない。」とも云つたが、電話の応待などのため双方譲らぬまま別れた。

4 九月一四日組合との団交の席上、松永総務部長は申請人佐藤の出張命令拒否は業務命令違反であることを言明し、その後阿部事業部長ら被申請人幹部は申請人佐藤の出張命令拒否に対し、これを懲戒解雇処分にすべきであるとの結論に達したが、北九州市に居住する相良社長が同月一八日上京し、できれば解雇処分を避けたい考えから同社長が申請人佐藤と話合うことになり、同社長は同月一九日申請人佐藤に対し「大阪工場出張拒否が業務命令違反で、就業規則に照らし相応の処分は不可避となつているが、時期をみて営業課長代理に登用されることに同意すれば最悪の処分も裁量の余地が生ずると思うがどうか。」との趣旨の説得を試みたが、申請人佐藤が右登用案を拒み、又鹿志村工場長ら幹部が右社長の優柔な態度を不満として辞表を提出したこともあつて、同社長は説得による解決をあきらめ、同月二二日懲罰委員会を開いて申請人佐藤を懲戒解雇することに決し、同月二六日申請人佐藤に対しこれを通告した。

5 申請人佐藤の懲戒解雇にも拘らず、同じく大阪工場出張を拒否した申請人坂本に対しては、その後申請人佐藤の場合のように文書による人事発令もなされなかつたし、又申請人佐藤の場合と対比して格別出張命令を拒むべき重大な事由もなかつたけれども、被申請人は、申請人坂本が当時一七才にすぎず、岩手県の田舎から中学校を卒業すると同時に被申請人に雇傭された未熟な者であることを考慮して、強硬な業務命令の発令、およびその拒否に対する懲戒の手段を講ぜず、昭和三七年一〇月一日改めて宇都宮工場出張を命じたことにより、大阪工場出張命令は自然に消滅に帰した。

6 被申請人の就業規則第九条には「会社は業務の都合により転勤又は所属並びに職務の変更を命ずることがある。前項の場合従業員は正当な理由がなければこれを拒むことはできない。」と定められ、同第五八条には「従業員が左の各号の一に該当する場合は懲戒解雇にする。但し情状により出勤停止に止めることがある。」その第二号には「正当な理由なく業務に関する上長の指示に反抗し、職場の秩序を紊したとき。」と定められる。』

申請人佐藤は、被申請人のした懲戒解雇は撤回された業務命令の違反を理由とするものであると主張するが、右に認定した3、4の事実によれば九月一二日人事発令手交後の話合の際、阿部事業部長は「どうしても行けないなら、ほかに手を考えなければならない。」ということを云つたけれども、それのみでは人事発令の文書手交という強硬な態度に出た出張命令を撤回した趣旨であるとは考えられず、文書手交後申請人佐藤は従前から拒否理由として示していた事由以外に格別考慮に価する事由を新たに主張したわけでもないから、被申請人の態度が文書手交後容易に変更されるとは考えられないこと、九月一二日の阿部事業部長の発言後松永総務部長、相良社長が出張拒否が業務命令違反であることを明らかにしていること、川崎工場労働組合も当時この人事発令が撤回されたものとは考えていなかつたこと(前掲乙第五、六、七号証によりこれを窺い得る。)から判断すると、九月一二日に手交された人事発令がその後撤回されたと考えることはできず、したがつて、申請人佐藤のこの点についての主張は理由がない。(右認定に反する甲第一号証、第五〇号証の記載は採用できない。)

次に申請人佐藤の本件懲戒解雇は、活発な組合活動をしたために不利益な取扱をした不当労働行為であるとの主張について考えるに、まず前記1に認定した事実によれば、被申請人が申請人佐藤らに対して大阪工場出張ないし転勤を命ずる充分な理由があり、川崎工場のアルマイト加工に従事する者のうち、申請人佐藤を選んだことについては、前記2に認定した事実によれば合理的な選択であると認められるから、申請人佐藤を大阪工場出張者として他の従業員中から選択し、これに出張を命じたことは合理的な根拠にしたがつてなされたものと認められる。そこで、被申請人の就業規則には前記6に認定した定めがあるので、申請人佐藤が、被申請人の出張命令を拒否したのに対し懲戒解雇をもつて対処した処置の当否について検討すると、出張命令に応じられない理由として申請人佐藤が被申請人に述べたところは、主として、前記3に認定した三つの事由であつたが、第一の、昭和三七年二月の大阪工場出張に際しての被申請人の約束不遵守に対しては、鹿志村工場長、阿部事業部長らは申請人佐藤の述べた事情を聴き、今回は二カ月間の期間を厳守すると約束したのであり、第二の、川崎に居住する妹のことについては、同女が美容院に住込就労しているもので、申請人佐藤と同居しているわけでもなく、日常の事柄についてまで申請人佐藤の助力を必要とする状況ではなく、又出張期間も二カ月間であることを考えると、これを格別の考慮に価する事由であるとはいい難く、第三の、学校に行つていることについては、被申請人としては更に詳しい内容が判らねば判断できないのに申請人佐藤は説明を拒んだのであるから、被申請人としてはこれを考慮に入れることはできない状況であり、結局右事由を総合しても、申請人佐藤に二カ月間の大阪工場出張を拒む正当な理当があつたということはできない。

そして、被申請人のような規模の企業において、前記1認定の如き事情のもとに出張を命ずる場合、その命令は業務上最も重大な種類の業務に関する上長の指示であり、これを正当な理由なく拒否することは、他の出張、転勤命令を受けた者、又は今後同種の命令を受けるであろう従業員らに及ぼす影響の関係で、職場の秩序を紊すものであるから、申請人佐藤の出張命令拒否は就業規則の前掲各条項に該当するものとして、懲戒解雇を相当とするものと解せられる。

更に、申請人佐藤と同様大阪工場出張命令を拒否した申請人坂本に対する被申請人の処置との対比において、申請人佐藤は労働組合活動を理由に不利益な取扱を受けたものであるかについては、前記5認定の事実によれば、申請人佐藤と同坂本とを差別して処置する相当な理由があつたと認められるから、同じ出張命令拒否に対するこの差別処置があつたことを以て、申請人佐藤が労働組合活動をしていたことの故に不利益な取扱をされたものということはできない。

最後に、被申請人の相良社長が昭和三七年九月一九日申請人佐藤に対し、登用案を示して説得したことについて考える。労働組合法第七条第三号は労働者の団結権を使用者の侵害から保護するため、労働者が労働組合を運営することを支配し、若しくはこれに介入することを禁じている。そこで前記3、4に認定した事実によれば、被申請人が昭和三七年九月五日申請人佐藤ら六名に対し、大阪工場出張転勤を命じて後、川崎工場労働組合は直ちに右問題について被申請人に団体交渉を申入れ、同月六日の団交において、申請人佐藤ら三名については折衝の結論を持ち越すことになり、殊に申請人佐藤については更に折衝するも話合がつかず、九月一二日人事発令拒否後も労働組合と被申請人との間では主として申請人佐藤の出張問題が争点となつて対立状態となつていたのであるから、かかる抗争状態にあつた同月一九日に、被申請人の社長が、労使抗争の中心人物であり、かつ組合書記長の要職にある申請人佐藤に対し、職制である営業課長代理に登用する旨、そしてこれに応ずれば懲戒解雇処分について裁量の余地が生ずるであろうと提案することは、労働組合の団結を侵害する重大な支配介入行為であるといはねばならない。

そして、たとい同社長の提案の真意が、申請人佐藤の才幹をおしみ、又その個人的な境遇への同情に出ずるものであつたとしても(この事実は被申請人代表者相良清本人の供述および前記4認定の事実によつて窺い得る)使用者の支配介入行為を団結権侵害として禁止している趣旨から考えると、労使抗争の客観的な情勢の中で、使用者の当該行為が労働組合員にとつて如何なる意味を有するか、ということが重要なのであるから、相良社長の提案が不当労働行為であるか否かの判断に際してその提案の真意はこれを重視すべきでない。

右のように、九月一九日の被申請人社長の申請人佐藤に対する登用案提案は不当労働行為であるが、これと懲戒解雇との関係について考えると、前記4認定の事実によれば、阿部アルマイト事業部長、鹿志村工場長ら川崎工場幹部は、九月一八日に相良社長が上京して来る以前に、すでに申請人佐藤の出張命令拒否問題についてこれを懲戒解雇にすべきであるとの結論に達していたものであつて、上京した相良社長は、その個人的な考えからできれば懲戒解雇を回避したいと考えて、申請人佐藤の説得を試みたにすぎないもので、この提案が拒否されたことにより、話合による解決の方法をあきらめて、同月二二日懲戒委員会の決定にいたつたものであり、申請人佐藤が社長の提案を拒否したがために、これを原因として、懲戒解雇の決定がなされたというが如き関係にはないから、社長の提案が不当労働行為である故をもつて申請人佐藤に対する懲戒解雇を無効と解することはできない。

以上のとおりであるから、被申請人が昭和三七年九月二六日申請人佐藤に対して懲戒解雇を通告し、その後法定の解雇予告手当を提供してなした本件懲戒解雇は相当であり、これを不当労働行為であるとする申請人佐藤の主張は理由がない。

三、申請人安心院虎書、同田中省三、同坂本公一の解雇について。

右申請人らは、それぞれに対してなされた解雇は申請人らの活発な労働組合活動を理由とする不当労働行為であるから無効である、と主張するので判断するに、成立に争いのない甲第二〇号証、第二七号証、第三五、三六号証、第四三号証、第四五号証、被申請人代表者相良清本人の供述により真正に成立したものと認められる乙第八、九号証、証人鹿志村圭造、同阿部元吾、同松永芳三郎の各証言および被申請人代表者相良清本人の供述によれば次の事実が認められ、これを覆えすに足る疎明資料はない。

「1 被申請人の川崎工場は昭和三七年七月頃から、前項において認定した1の事実のように、受注が減少して次第に窮迫し、同年一〇月には盛況時の五分の一以下の操業度となり同月末には融資方交渉中であつた各銀行から融資困難の回答を得、殆んど操業を継続することができない状況に立いたつた。被申請人の主力工場である八幡工場は既に昭和三六年中に受注減少し、そのステンレス部門は同年一一月に休止しており、宇都宮工場も七〇ないし八〇%の操業度を漸く保つている状況であつたので、受注が減少し工場維持の困難になつた川崎工場よりも、宇都宮工場を支援し、好調な大阪工場を主力として行く方針のもとに、昭和三七年一〇月二〇日被申請人は川崎工場を休業することになり、更に同月二七日被申請人の取締役会は同年一一月一日より川崎工場の一時閉鎖を決議するに至つた。

2 川崎工場における昭和三七年九、一〇月当時の従業員は合計三八名のうち労働組合員三一名であつたが、被申請人は右方針にしたがい、同年一〇月末までに依願退職者一〇名を出し、大阪、宇都宮工場へ一六名を配転して、本社、他工場への吸収を図つたが、工場閉鎖におよんで人員整理のやむなきに至り、残る一二名のうち職場、職種の配転については会社に一任することを条件とし、技術保存要員として申請人安心院ら四名、保安要員一名、特殊環境者(親のない者など)二名、計七名を雇傭継続することとし、残る申請人田中、同坂本ら五名を余剰人員として解雇することとし、一〇月三一日これを労働組合に通告し、申請人田中、同坂本は同年一一月一日付をもつて解雇された。

3 申請人安心院については右のように、将来川崎工場を再開した場合に備え、技術保存要員として雇傭を継続されることになつたが、被申請人川崎工場には仕事もないため多忙である大阪工場へ転勤するよう被申請人が交渉したが、申請人安心院はこれを拒んだため、同人は一一月一日付をもつて解雇された。

4 以上のほか、申請人坂本については従来仕事にややむらがあり、前項3、5において認定したように正当な理由なく出張命令を拒否したこと、申請人田中については、同人が九月二七日の組合臨時大会席上においてした発言が、鹿志村工場長や被申請人を誹謗したものであるとして、被申請人は懲戒を問議して、その間同人の出勤を差止めたが、同人が陳謝したため懲戒にはいたらなかつたこと、申請人安心院については、九月六日の団交の際、被申請人と組合との間で、今後転勤については組合にも申入れる旨の確認がなされたが、鹿志村工場長は申請人安心院の解雇前同人に対し二、三度大阪工場転勤を交渉したことの各事実があつた。」

右事実によれば、川崎工場が受注減少のため工場経営の維持が困難となつて工場閉鎖の止むなきにいたり、依願退職を勧奨する一方、他工場への配転によつてできるだけ吸収に努めたがおよばず、申請人田中、同坂本ら五名の解雇にいたつたものであり、かつ申請人田中、同坂本には前記4の事実があつたのであるから、余剰人員整理にあたり、解雇者とされる理由があつたというべきであり、申請人安心院については職場、職種の配転については被申請人に一任することを条件に一旦技術保存要員として雇傭を継続するものとしたものの、川崎工場は閉鎖されて就労することもできず、又前項1、2に認定したように、大阪工場においては申請人安心院の技術指導能力を必要としていたのであるから、被申請人が申請人安心院に対し大阪工場転勤を命ずるのは理由のあることであり、これを拒否されるときは、川崎工場を閉鎖した状況の下ではこれを解雇することも止むを得なかつたものというべきである。

又、申請人安心院は、被申請人が組合との確認に反し、組合に対する申入もなく申請人安心院に大阪工場転勤を命じたため、これを拒んだというが、申請人安心院は組合の執行委員長であり、鹿志村工場長はこれに対し二、三度交渉を重ねたのであるから、被申請人が右確認事項に違反したものということはできない。

前掲資料のほか成立に争いのない甲第四ないし第四〇号証によれば、申請人安心院は執行委員長、申請人田中は執行委員、申請人坂本は組合員として、昭和三七年六、七月の被申請人との団体交渉および申請人佐藤出張命令後の組合と被申請人間の問題について活発に組合活動をして来たことが認められるが、この事実と前示認定の事実を総合考案するも、申請人安心院、同田中、同坂本に対する解雇の決定的な原因が申請人らの組合活動にあつたと認めることはできず、申請人らの主張はいずれも理由がない。

5 次に使用者が労働者を解雇するには労働基準法第二〇条により同条所定の予告期間をおくか、または予告手当の支払いをすることを要するのであるが、被申請人が申請人安心院、同田中、同坂本に対し解雇の通告をしたときに予告期間をおいたことまたは予告手当の支払いをしたことはこれを認める疎明資料はない。しかし、被申請人のした右解雇の通告が即時解雇を固執する趣旨でない限り通告後同条所定の三〇日の期間を経過するか、または予告手当の支払いをしたときに解雇の効力を生ずるものと解するを相当とするところ(昭和三五年三月一一日最高裁判所第二小法廷判決。最高裁判所判例集第一四巻三号四〇三頁参照)被申請人の前記解雇の通告が即時解雇を固執する趣旨のものでないことは口頭弁論の全趣旨により認め得るから、被申請人が申請人安心院、同田中、同坂本に対し昭和三七年一一月一日付を以てなした前記解雇の通告はその三〇日後たる同年一二月一日の経過とともに解雇の効力を生じ、被申請人と申請人安心院、同田中、同坂本との雇傭関係は同日限り終了したものというべきである。そうすると同申請人らは被申請人に対し同日までの賃金支払いの請求権を有するものというべきところ、同申請人等は同年一〇月二五日までの賃金の支払いを受けたことはその自認するところであるから、被申請人は同月二六日から同年一二月一日までの賃金の支払義務があるわけである。しかし同申請人らが被申請人の従業員たる地位を失つてから既に約一カ年近くを経過している現在においても、なお、解雇直前の一カ月余の賃金未払のためその生活上回復できない経済的精神的な打撃を蒙つているものとは特別の事情のない限り考えられないから、同申請人等は本案訴訟において未払賃金の支払を求めるは格別本件仮処分によつて右未払賃金の仮の支払を求める保全の必要性を有しないものと解するのを相当とする。

四、被申請人の申請人佐藤長二に対する立入禁止、就労禁止申請について

被申請人の主張は、昭和三七年九月二六日申請人佐藤を解雇したが、申請人佐藤は解雇を無視して工場内に立入り、一般従業員を煽動しその就業を妨害するなど、被申請人に多大の損害を与えているというのであるところ、被申請人主張のように申請人佐藤が解雇されたことは第二項において判示したとおりであり、又第三項において判示したように被申請人は昭和三七年一一月一日を以て川崎工場を閉鎖したものであつて、そのほか前掲資料によれば、川崎工場は現在は操業しておらず、時々本社より見廻りに行くが、申請人ら四名が同工場敷地内の共同宿舎において生活しているのみであることが認められ、右認定に反する疎明はない。そうすると川崎工場が閉鎖されている現在では、申請人佐藤が工場内立入又は就労により被申請人主張のような損害を与える虞はないから、被申請人の主張は理由がない。以上のとおり、申請人佐藤長二、同安心院虎書、同田中省三、同坂本公一の本件地位保全及び賃金仮払い仮処分申請並びに被申請人日本金属株式会社の立入禁止等仮処分申請はいずれも理由がないからこれを却下することとし、訴訟費用は民事訴訟法第八九条、第九三条第一項本文、第九二条本文を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 久利馨 若尾元 田中昌弘)

(別紙図面省略)

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